2014年10月2日

海洋力学と環境問題の接続 Hamblin, "Seeing the Oceans in the Shadow of Bergen Values" 【Isis, Focus:海洋】

Jacob Darwin Hamblin, "Seeing the Oceans in the Shadow of Bergen Values," Isis 105 (2014): 352–363.

 米国の海洋学者レヴェル(Roger Revelle)は、大気中の二酸化炭素の継続的蓄積を示すことになったデータ測定の開始(1957年)に大きな役割を果たしたことで知られている。そこで歴史家たちは環境運動の観点からレヴェルに注目してきたが、骨折りに終わった。というのも、当時のレヴェルは地球環境を守ることに関心を持っていたのではなく、まったく別の問題を追究していたからである。レヴェルらの関心は、海洋力学dynamic oceanographyに基づいていた。海洋力学は、記述海洋学descriptive oceanographyと衝突した学問である。記述海洋学は、データを測定し地図を作って地球物理学的現象の因果関係を解明しようとする。一方、海洋力学はデータ収集を重視するところは同じだが、数学的モデルを構築しようとするところで異なっている。20世紀半ばは、海洋循環の数学的モデルをつくりだした海洋力学が台頭した時代だったのである。

 だが海洋力学は、単に海流の問題を解決する道具だったのではなく、世界中の様々な分野の海洋学者たちに影響した一連の価値観を伴っていたのである。この論考では、これらの価値観を「ベルゲン価値観Bergen values」と呼ぶことにする。というのは、海洋力学者たちは彼ら自身の学問的ルーツがノルウェーのベルゲン地球物理研究所にあると考えていたからである。ベルゲン価値観では、数学的モデルの構築、徹底的なデータ収集、複数のディシプリンの総合、そして予測が重要とされる。

 この論考は、さらなる歴史的研究を必要とするベルゲン価値観の三つの側面に焦点を当てる。第一に、海洋力学者たちは予測のできる科学的問いを立てることを重視し、他の人々の視点を時代遅れだとか非科学的だとして蔑んだが、このような立場の人々の台頭は幅広い海洋学の科学的問いにどのような影響を与えたのか? 第二に、海洋力学者たちが好んだ器具(温度、塩分濃度、潮流の方向、を測定するもの)は海を特定の仕方で解読可能にするものだったが、これは海洋学者たちが海を違った仕方で認識する能力を削ぐものだったのか? 第三に、ベルゲン価値観に基づく研究は莫大なデータを収集し、その多くは科学的問いを解決することに用いられることがないまま蓄積され、しかし今では環境史の研究者たちによって長期にわたる変化を調べるために用いられている。海洋力学者たちの伝統は、考えられていたよりも記述的だったのではないか?


ベルゲン価値観への幅広いリーチ

 海洋力学は単に数学を奨励したのではなく、何が海洋学の名に値するかを再定義していた。このことはたとえば、アメリカ海軍士官で、かつて業績が高く評価されていたモーリィ(Matthew Fontaine Maury)の著しい名声低下によく表れている。記述的測定は海洋学とみなされなくなったのである。海洋学の意味を作り替えようとしていた人々が見習っていたのは、ビヤークネス(Vilhelm Bjerknes)のようなスカンディナヴィアの研究者たちであった。ビヤークネスは、水力学と熱力学を組み合わせて海洋と大気の大規模なシステムに適用していた。また気候学のように、海洋科学に属しながらベルゲン価値観を共有しない学問分野は軽蔑され、海洋力学的アプローチを持ち込む人々が台頭した。
 1950年代までに、欧州と北米の多くの研究所が海洋力学を取り入れ、記述的な仕事を避けるようになっていた。ウッズホール海洋研究所とスクリップス海洋研究所という、米国の二つの主要な海洋研究所も20世紀半ばまでにベルゲン価値観にコミットしていた。ウッズホールは、スカンディナヴィアの研究者たちから影響を受けていた。またスクリップスでは、1936年にビヤークネスの弟子であったスベルドルプ(Harald U. Sverdrup)が所長に就任し、ベルゲン価値観を持ち込んだ。スベルドルプは研究所内での抵抗に遭ったが、所長を継いだレヴェルがベルゲン価値観を引き継いだ。レヴェルが打ち出した遠征は、それ自体海洋循環とは関係がないテーマの場合でも、ベルゲン価値観に深く影響されていた。


海洋を解読可能にする
 科学者たちは、器具や地図や方程式を用いることによって海を「解読可能」にする。海洋学で用いられる器具には様々なものがあったが、海洋力学にとって最も基本的な器具は、深い位置の海水を採取するナンセンボトルと、潮流を測定するエクマン潮流計という、スカンディナヴィアで発明された二つの器具であった。これらの器具によって、温度、塩分濃度、潮流の方向と速度が測定された。
 科学史家にとって難しいのは、これら海洋力学の基本的な測定項目のせいで、科学者たちが海を他の視点で見ることが難しくなっていたかどうかを見極めることである。例として、放射能測定の場合を考えてみよう。1954年にビキニ環礁で行われた水爆実験によって第五福竜丸が被曝したあと、日本の海洋学者たちは太平洋での放射能測定を始めた。人間によって海洋がどれくらい汚染されたかを調べようとしたのである。一方、米国の研究者たちはこれを無意味だとみなした。さらにレヴェルら数人の米国人研究者は、故意に放射能のあるデブリを撒くことで潮流を調べようとした。そのような文脈でしか、放射能を測定することの科学的な意義を見出せなかったのである。
 レヴェルの二酸化炭素の測定もまた、炭素14の測定によって海洋循環を調べようとしたことに端を発していた。レヴェルは時間的な地球の変化ではなく、循環の問題を追究していたのである。しかし結果的に、レヴェルらの論文は地球温暖化という主張に関係することになった。


データ収集は科学ではない
 海洋力学の研究は大量のデータを必要としており、海洋学を以前よりもっと記述的にしたともいえる。米国のストンメル(Henry Stommel)は、1957–58年の国際地球観測年(IGY)のあいだに世界中で行われた研究が、過去の記述海洋学のようであったことに失望したという。多くの科学者は理論を検証するというよりも、ただ単にデータを集めており、また多くのデータで規則的・継続的な収集がされていなかった。
 ソ連の科学者たちはデータ収集を重視しており、特にすぐに印刷できる記述的なデータを好んでいた。ソ連の船には印刷機が積まれていたこともあったという。欧米の科学者たちはこれを嘲っており、IGYではデータセンターに世界中からデータが集められていた。海洋力学者たちはこういったデータが基本的問題を解決するのに不可欠なのだと考えていたが、実際には使われることのないデータが増え続けていた。衛星海洋学が登場してようやく、海洋学者たちはデータ収集の仕事から解き放たれることになった。
 海洋力学の台頭は、かつてなかったほどの大量のデータの蓄積を残した。こういったデータは、環境史家などの研究にとって重要なものとなっている。モデルの構築を追究し、時間的変化を調べるという発想を持たなかった海洋力学が、結果的には時間的変化を研究するための材料を残したのである。

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