2015年2月4日

諸刃の剣としての今日的人種科学 Fullwiley, “The Contemporary Synthesis” 【Isis, Focus:人種】

2月6日のIsis, Focus読書会では、2014年第4号の「人種」特集を扱います。
詳細は以下のページをご覧ください。オンライン参加も歓迎です。
https://www.facebook.com/events/1522913594653257/?ref_dashboard_filter=upcoming

以下は、特集のうちの6つ目の論考のレジュメです。
ゲノム科学が「人種」と呼べるような科学的分類は存在しないことを示したにもかかわらず、人々の遺伝的な違いが従来通りの政治的・社会的な人種分類に結び付けられてしまう傾向が加速しています。この新しい潮流は、政治的にリベラルの人も保守の人も巻き込み、古い概念も新しい態度も取り込んでおり、人種分類を復権させる可能性と脱構築する可能性の両方を秘めているものです。本論考は、非常に繊細で扱いの難しい現代的問題を浮かび上がらせた報告といえるでしょう。


Duana Fullwiley, “The “Contemporary Synthesis”: When Politically Inclusive Genomic Science Relies on Biological Notions of Race,” Isis 105 (2014): 803–814.

 この論考は、今日の米国の遺伝学における人種的思考について論じたものである。最近の人類遺伝学では、古い人種的思考が新しいリベラルな態度と合流しつつある。ことの始まりは1993年のNIH再生法で、「包摂 inclusion」のスローガンのもとに、マイノリティーの人々が医学研究において重視されるようになった。またこの頃、一部の声の大きい科学者たちが、人種によって健康の遺伝的基盤も異なるということを主張しはじめた。政治的には相反しているようにも思えるこの二つの考え方は、意外にも容易く結びついたのである。彼らは、人種による遺伝的な違いというものを研究しはじめた。2000年にヒトゲノム計画のリーダーたちが宣言した、人間には一つの人種しかないという説(“just one race”)に対しては、彼らは反対を表明した。こういった人々はレイシストなのではなく、マイノリティーの人も含まれている。彼らは人種による分類にある程度の真実性があると考えており、それを探求しないことはむしろマイノリティーに対する攻撃に等しいのだと論じている。
 このような古い概念と新しい態度の合流は、1940年代頃にまとまった進化理解である「現代的総合 modern synthesis」と対比して「今日的総合 contemporary synthesis」と呼ぶことができるだろう。現代的総合においては、連続的な「進化」や反類型学的な「集団」の概念が強調された結果、人種という概念は置き去りにされていた。しかし今日的総合では、「純系」「人種」のような古い概念が、「包摂」「多様性」「反レイシズム」といった新しいリベラルな態度とブレンドし、息を吹き返している。そしてこの新しい人種科学は、医療や犯罪捜査などの場面で人々の生活に直接関わりつつあるのだ。

Building Race: Old and New Constructions

 Nancy Stepanの『科学における人種概念 The Idea of Race in Science』(1982)は、人類についての古い考え方と新しい考え方の対立を、「人種」概念と「集団」概念の対立として整理した。「人種」は肌の色や頭蓋骨の形などで解剖学的・形態学的に理解されるものであるのに対して、「集団」は遺伝学的・統計学的に理解されるものである。Stepanは当時、集団遺伝学(新しい多様性の科学)の発展に伴って古い人種科学は駆逐されてきていると記していた。
 しかし今日では、集団遺伝学的手法のもとに人種の遺伝的基礎を探る研究がなされている。これらの研究者たちは、「人種」という言葉の代わりに「生物地理学的祖先 bio-geographical ancestry」とか「遺伝的祖先 genetic ancestry」とかいう言葉を好んで使う。研究者たちはまず、遺伝的祖先がある程度推定される人々のDNAサンプルを集め、それらを比較することによって、比較的混血が少ない「純粋な」ゲノムを持つ人々を割り出していく。さらに、この人々のDNAを他のグループの人々と比較することによって、遺伝的祖先の判定に有用な遺伝的変異、すなわち「祖先識別マーカー Ancestry Informative Marker (AIM)」を決定していくことができる。この過程のなかでは、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人、ネイティブ・アメリカンといった、従来通りの政治的な人種区別の仕方が温存されている。ここには、人間についての生物学が再び人種分類化していく可能性が眠っている。だが一方でこの手法は、かつて黒人の血が一滴でも混じった人は黒人とみなしたようなOne drop的な考え方とは異なり、人々をさまざまな祖先の血が混合した存在とみなす点で、脱人種分類化の可能性も秘めている。

The Contemporary Synthesis in Action

 自然人類学者・集団遺伝学者のMark Shriverは、Parabon Snapshotという民間企業と提携して技術開発を行っている。彼らが売り出しているのは「分子フォトフィット molecular photofitting」と呼ばれる技術で、AIMを用いて対象となる人物のDNAから祖先集団とその構成割合を割り出し、その人の顔を再現するというものである。この技術は、主に犯罪捜査に用いられることが想定されている。しかも、資金を提供している国立司法研究所はShriverに対し、もっぱら黒人についての研究をさせている。
 一方で、AIMを用いた祖先分析技術は直販で消費者の手に届くものとなっており、人々は楽しみとして自分の遺伝的祖先とその割合を調べ、多くの場合には意外な祖先も入っていることを知ることができる。そこではAIMは人種分類を脱構築するものとして捉えられているのである。さらに、Shriverら一部の研究者たちは、国立進化総合センターなどの支援を受け、中学生たちのためのサマーキャンプを開催している。特にターゲットとされているのはアフリカ系アメリカ人の子供たちで、研究者たちによると彼らは、進化論が自分たちを「比較的進化していない」人々だとみなしていると感じている傾向があるという。こうした誤解を解くことも目標として、サマーキャンプではAIMなどを用いて子供たちの遺伝的祖先とその割合を明らかにしていく。そこで子供たちは、自分たちが多かれ少なかれ、アフリカ人、アジア人、ヨーロッパ人、ネイティブ・アメリカンの混血であることを学ぶことになる。「人種」を「遺伝的祖先」とみなす考え方は、一見したところ、過去の人種差別を克服する思想であるようにも思える。

Concluding Thoughts

 科学者たちが「遺伝的祖先」の言葉を好んで用いているにしても、結局彼らが研究しているのは「人種」である。この動きには、リベラルや保守といった政治的立ち位置にかかわらず、多くの研究者や政治家が参加している。だが、こういった研究はすぐに人種差別に裏返る危険性も秘めている。2014年、ニューヨーク・タイムズのサイエンスライターを退職したNicholas Wadeは、AIMなどから得られている研究結果を根拠に、ヨーロッパ人は他の人種、特にアフリカ人に比べてより進化した適応的な人種であると主張する本『やっかいな遺産 A Troublesome Inheritance』を出版した。ここではAIMなどによる研究が、人種概念には生物学的基盤があることを示すものとなっている。
 ゲノム学が人種と呼べるような科学的分類は存在しないことを示したにもかかわらず、今日の文化的状況では、人間集団の違いはあまりにも簡単に、遺伝学的基盤を獲得した人種概念に結び付けられてしまう。そして人種分類を遺伝的なものとして受容することは、医療、司法、科学教育、ゲノム研究、そして個人のアイデンティティといった、様々な領域で定着しつつある。人種間平等や政治的包摂についての考え方が潜在的に再構成されつつあるといえるだろう。

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